字に対する魅力と集中力のなさと、本人の限界

朝日新聞の文字が、3月31日(月)から、大きくなるらしいね。


記事の難しさは変わらないから、知ったこっちゃないけど。


とは言え、ケータイもパソコンも持ってない(金がなくて持てない)僕にとっては、大事な情報元になってますね。


僕の1日のスタートは、その日のテレビ・ラジオ番組の内容、政治の動き、京都での催物・有名な人の講演会の情報などなど、新聞で調べることからです。


「あっこれ気になるな」って情報があったら、ネットと併せて調べたり、関係先に電話・メールで問い合わせしますね、普通に。


そのやり方で行った講演会というのが、大学4年の間に、だいぶあります。


水谷修先生のヤツとか、そうやったかな?


風邪で胃の調子が悪くなる前も、京都市ユースサービス協会の「自立のシンポジウム」が載ってたので、行きましたね。


ただ新聞に思うのは、おっちゃんは読んでも、僕ら若い子はちょっと読みにくいなってことです。


誰かが、新聞は「中学生が終わったぐらいの学力で読めるように書かれている」と言ってたような気がするけど、僕はそれは違って、よほど勉強熱心で時間に余裕がある人じゃないと、きちんと読みこなせないだろうと思ってます。


昨日のトップニュースの「東芝のHD-DVD撤退検討」にしても、メカに強い人やと、「ソニーやパナソニックの方が売れてるしな」というのが分かるから、いくらでも書いてあることが分かるわけやけど、何も気にしていない人や、DVDの機械を持っていない人にとっては、よく分からない話で、「何のこっちゃ」って感じですね。


僕も「何のこっちゃ」って思いました。


だから、新聞を読むことは大事やけど、一つ一つの出来事の意味が分からないと読む意味がないし、読むこと自体も無理ってことを僕は言いたいです。


あともう1つは、白黒が多いというのが、「古い」とか「昭和」というイメージを与えてしまってるんじゃないかと思います。


昨日、朝日が文字を大きくするというお知らせにあわせて、3人の人に意見を聞いて載せてたんですが、その中のギャル社長の藤田志穂さんの意見は最もで、タイトルをカラーにしてみるとかは、僕も賛成ですね。


何か読まそうという工夫がないと、新聞はネットに負ける一方じゃないかなって気がします。


本も一緒で、好きな人は読むけど、字に対して魅力を感じない人はスルーしてしまう。


近年の本離れは、字に対する魅力と集中力双方がなくなってしまった結果じゃないかなと思います。


そして、またやっかいなことが、魅力・集中力とも取り戻すのは相当難しいし、特に集中力に関しては、本人の努力では解決できないところまで来ているんじゃないかと感じます。


僕はそれを特に感じている1人で、本は大事なものというのは分かるけど、今まで読めた試しはありません。


本は、他の同じ立場の多数の人に送ることを前提に書いてるから、魅力を感じない人については何ら考えられていないってことですね。


つまり「読めて当たり前」っていう空気が書いてる人のどっかにはあるんちゃうかなと思います。


でも本を書く人というのは、それだけ本を読みこなせる人ってことやから、仕方ないかなとも思うんですが、「本を読め、新聞を読め」と言うだけじゃなく、もっとここに書いたような、「字に対する魅力と集中力の欠如」「本人の努力の限界」というのを、いい加減に議論すべきじゃないかなと感じます。

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